追記

>新しい調査手法のモデルなどについて議論する。途中で、スタジオ出てきた康平も合流。
ラカンの転移の概念をうまく活用できないか、とふと思い調べてみると内田樹さんの所にこんな面白いものを発見する。
http://blog.tatsuru.com/archives/000539.php

そうではなくて、その「関係のない話」が、他ならぬそのときに、他ならぬその文脈で思い出されたことに必然性があるのである。

そのコメント

私が、2年間、オープン・エンドなインタビューをしていて気づいたのは、いかに人々が、自分の話を、気が済むまで話すことが少ないかということです。ですから、私が脱線した話を聞き続けていると、彼らは、自分たちがそれまで、ずいぶん、いろんなことを言わずに済ませてきたことに気づきます。そして、話しても聞き届けられていなかったことに。

コミュニケーションとは転移を通して対象αに迫っていく無限の取り組み、だと考えれば、最終的に対象αに到達することは不可能だが、逆にだからこそ(対象αへ到達することが不可能、という事実が共有されることにより)関係を構築することは可能である。などと、ラーメンの味を思い出しながら考えてみたりする。